FAQ-出雲大社と出雲大社埼玉分院
『古事記』(712)や『日本書紀』(720)の神話伝承には、大国主大神様が国づくりされた日本の国土を、皇室の御祖先神である天照大御神様に〝国譲り〟された際、そのご功績を称えて壮大な御神殿(御本殿)が創建され、大国主大神様がお鎮まりになられたと記されています。
これは国家による出雲大社造営起源の記述で、その様子は太く長い柱を地下の岩盤に届くほど深く突き固め、大きく厚い板を用い、屋根に掲げられた千木は天の雲を貫くほど壮大な御神殿(御本殿)が築かれたことを伝えています。
またこの〝国譲り〟以前には、大国主大神様の妻神の須勢理比売神様の父神にあたる須佐之男神(素盞嗚尊)様から、須勢理比売神様と一緒に壮大な住まいを建て仲良く暮らしなさいとの命じごとが大国主大神様になされていますので、それ以前にも立派な建物にお住いであったことが伝えられています。
このように、出雲大社創建は遥か神代の時代に遡り、大国主大神様の尊い御神徳を称えて壮大な御神殿(御本殿)が築かれたのです。
同じ神様です。大国主大神様には、他にも「大己貴神」、「大物主神」、「八千矛神」、「大国魂神」、「顕国魂神」など多くの御神名があります。ただし、いわゆる「七福神」の中の「大黒天」とは正確には別の神様です。
出雲大社にお祀りされております大国主大神様は「縁むすびの神様」として古くから信仰されています。これは単に男女のご縁だけではありません。人々を取り巻くあらゆる繋がりのご縁です。広く人々と幸せのご縁を結んで下さる神様です。
一般的には「いづもたいしゃ」と申しておりますが、正式には「いづもおおやしろ」です。
出雲大社埼玉分院は、荒船神社として創建し、昭和五十八年には宗祠(出雲大社)よりご分霊をいただいて以来、この朝霞の地で、埼玉県唯一の出雲大社として大国主大神(だいこくさま)をお祀りして参りました。
私たちは、今を生きる人々はもちろん、次世代、そして次々世代まで、心豊かに共に栄えていくため、貴い結びつきのある共同体を育んでいくことを目指しております。そして、人々の暮らしの中で生まれた信仰の場である小さなおやしろから、現代の価値観の多様性に合わせながら、出雲大社の大きなご縁を結んで参ります。
荒船神社は、当おやしろが「出雲大社埼玉分院」となる前から、鎮座していた神社です。先代教会長・渡邉清は昭和の成長期に、発展していく朝霞市本町の地に神社がないことを憂いました。そこで、当神主(渡邉)家の守護神である三宝荒神を御祭神とし、地域の神社として創建したのです。
日本人には、「尊いものに対して手を叩く」という信仰があります。ご飯を食べる前に感謝の意を込め、一拍手してから食べる習慣が一例です。出雲大社のご祭神である「だいこくさま」は特にその御神徳が高く、二拍手でなく四拍手になったと考えられます。また、四回手を合わせるので、「しあわせを呼ぶ」とも言われています。